■Craig Fortnam Interview : by Michael Bjorn

■Craig Fortnam Interview : by Michael Bjorn/クレイグ・フォートナム・インタヴュー : ミカエル・ビョルン

 20年以上にわたってレコードを発表してきたクレイグ・フォートナムが初めてソロ・アルバムを制作しました。彼にとって初のアルバムだったシュラビーズの『メンフィス・イン・テキサス』は、彼の友人であり、パンク/プログ・バンドのカーディアクスの伝説的リーダー、ティム・スミスがプロデュースを務めています。一枚のアルバムのみを残したシュラビーズは、カーディアクスのメンバーだけではなく、のちに結婚し、ともにノース・シー・レディオ・オーケストラを結成することになる、当時のガールフレンド、シャロンも参加していました。

 決して大声を出さないクレイグは、ジェイムズ・ラーカムとともにアーチ・ギャリソンとして、どちらかといえば落ち着いたチェンバー・フォーク・アルバムを3枚発表しています。ソロ・アルバムは、さらに穏やかな作品になる可能性がありましたが、実際にはむしろその逆と言えます。クレイグ・フォートナムはひと回りしたような感じがします。一人息子をもうけたシャロンと困難な別れを経験した後、彼はたくさんのことが気にかかっていて、アルバムにはそんな彼の思いと同じようにたくさんの楽曲が詰め込まれています。柔らかさの中に燃えるような激しさが感じられます。

 クレイグに詳しい話を聞いてみました。

──シュラビーズ時代にオーディエンスが聴いてくれないことに嫌気がさして、教会では座って聴いてくれるからと、教会に行ったということを聞きました。

「ああ、意図的な決断だったよ。ライヴをするために長い間リハーサルしてきたんだ。フロントの方の音はよかったけど、ぼくが演奏しているところからは、いつもひどい音だったよ。ひどいモニター……まるでみんなが話しているみたいで……それにうんざりしてたんだ。ずっと密かにやってみたいと思っていたことを実際にやってみる時だと思ったんだ」

──全くアンプなしで、ということですね?

「文字通り何も使わないでやったよ。最初の頃はシャロンがすごく大変だったけど、その後ヴォーカルのためにヴォーカル用の小さなPAを用意したんだ。でもヴァイオリンとかは全部完全なアコースティックで、素晴らしかったよ」

──その教会でのライヴは録音したのですか?

「ぼくが生まれ育った村、キングストンの教会でライヴしたんだ。カーディアクスのメンバーのマーク・コースラとティム・スミスがやってくれたもので、いいレコーディングのものがあるよ。あのコンサートの最中に顔を上げると、ぼくが本当に小さな頃に通っていた教会の中でマークとティムがヘッドフォンをして録音しているのが見えて、人生の中でももっともシュールな瞬間だったよ」

──あなたの声と音楽は、いつもソフトで、どこか控えめですね。

「馬を怖がらせたくないんだよ。教会で初めてノース・シー・レディオのライヴを始めたとき、よくお客さんが泣き出したりして、それが素晴らしいと思ったんだ。ぼくが求めていたのは人々の感情的な反応だったんだ。感情的な反応っていろんな形があるだろ? 怒らせたり、イラつかせたりすることもできるけど、ぼくは、人をかなし混ぜるのではなく、ただ感情的にさせることに興味があることに気がついたんだ。それがぼく自身がやろうとしてることだと思う。ぼくの2歳上の兄はとてもひどい統合失調症だった。それでぼくが10代の頃から、彼は……正気じゃなかった。兄の病気があまりにも辛かったから、ぼくは20代のほとんどを何も感じないまま過ごした。ぼくは、音楽でみんなに何かを感じてもらいたいと思ってるんだ。それがぼくが望んでいることさ。それを対立的ではない方法でやっているんだね」

──チェンバー・ミュージックやカーディアクスからの影響、アコースティック楽器やエレクトロニックなものを融合させたあなたが作り出す音の世界がとても好きです。

「70年代に育った人は、モノラル・シンセが好きだと思う。テレビで、シンセとファゴットやアコースティック・ギターがよく使われていたからね。ぼくが子供の頃、子供向けの番組にはほとんどアコースティック・ギターとファゴットが使われていたよ」

──子供向けの音楽と大人の世界観が融合してものですね。

「ヴァーノン・エリオットの子供向けの音楽のコンサートをやったことがある。ぼくたちは似たようなことをやっているから依頼されたんだろうね。ぼくは比較的オリジナルなものをやっていると思うし、ぼくの作品を聴いた人はそれがぼくのものだとわかるとも思う。それを闘っていると思うんだ。そうだろ? ぼくは変わった影響を受けていて、それをうまく繋ぎ合わせているからだと思うんだ」

──ノース・シー・レディオ・オーケストラでは、ロバート・ワイアットの『ロック・ボトム』も演奏していて、2019年にライヴ・アルバム『Folly Bololey』としてリリースしていますね。

「最初のプロジェクトは2014年で、リヨンでこのコンサート・フェスティヴァルを行ったんだけど、そもそも全部アレンジしたからだったんだ。でもダーク・コンパニオンというレーベルを所有しているマックス・マルキーニがそれをリリースしたいっていうから復活させたんだ」

──ロバート・ワイアットのことはどのように思いますか?

「彼は、ぼくに大きな影響を与えたわけじゃない。10代の頃は、ロバート・ワイアットをあまり聴いていなかった。ロバート・ワイアットは、デヴィッド・アレンのアルバム『バナナ・ムーン』でドラムを叩いているのを聴いたくらいだった。ぼくは『バナナ・ムーン』やゴングの『カマンベール・エレクトリック』などに夢中になっていたから、それがロバート・ワイアットに一番近い存在だった。今回のアレンジを依頼されるまでは、あんまり聴いたことがなかったんだ。ぼくの作品はロバート・ワイアットに似ていると言われることがあるけど、それってぼくの歌声のせいかもしれないね。二人のアクセントが似てるのかもしれない」

──わたしにはドラムがないことです。ロバートはドラムを叩けなくなったとき、ドラムをやりたがりませんでしたから。

「ぼくは意図的にドラムを入れていないんだ。ドラム・マシーンは使っているけど、ドラム・マシーン以上のものだと思っていない。何かにドラムが入っていると、すべてのものが保身津的に変わってしまうんだ。望んでいなくても“ロック・ミュージック”になってしまう。ぼくは“チェンバー・ミュージック”を作りたいんだ。でも彼の作品のすべてを手がけ、彼の恩恵を受けたことは本当にスリリングなことだったよ」

──あなたのニュー・アルバム『Ark』についてですが、わたしはシュラビーズのアルバムのことを少し思いました。ドラムが戻ってきています……。

「アルバムには基本的に、ノース・シー・レディオ・オーケストラのメンバーが全員参加している。意図的に何か別の音にしようと思って加えたものもある。それでエレクトリック・ギターの質感とドラムを加えたんだ。楽曲の一つには、扇情的なベースも入っている。だから意識的にチェンバー・ミュージックっぽくないサウンドにするようにしたところがあるんだ」

──このアルバムはどのように生まれたのですか?

「たしか、2016年に制作したアルバム『Dronne』の後、すぐにスタートしたと思う。ノース・シー・レディオ・オーケストラのアルバムからアーチ・ギャリソンのアルバムと前後していることが多いんだけど、ぼくはとにかくノース・シー・レディオ・オーケストラのアルバムをもう一枚作りたいと思っていたんだ。でもいくつかの歌詞に驚いて、“これはぼくが書いたぼくの曲だ”って思ったんだ。これはぼくの曲であって、シャロンが歌う曲じゃない。そんなふうに考えたんだ」

──かなり長く温めていたんですね。

「リリースするまでに時間がかかったのは、どうやって発売したらいいかわからなかったからなんだ。そしてロックダウンが起こった。そのとき時間があったから、アーチ・ギャリソンのアルバムを作ったんだ」

──では、アーチ・ギャリソンの『The Bitter Lay』は、『Ark』のアルバムよりも後に録音されたものなんですね?

「そうだね、『レット・イット・ビー』と『アビー・ロード』みたいにね」

──そうですね、ほとんど同じですね。

「まさにそうなんだ(笑)。アーチ・ギャリソンのアルバムは、文字通り3ヶ月で作ったんだけど、前代未聞だよね。たいていは作るのに2年はかかるんだから。ロックダウン中だから時間はあったんだ」

──あなたの歌詞は、自然や海、そして謙虚さを表現しています。その抑制されたアプローチは、どんなものとも調和していないように思えます。

「それがぼくのやり方なんだ。ズレているのが好きなんだ。〈Ravensodd〉という曲があるんだけど、嵐で流されてしまった、ヨークシャーの北海にあるハンバー川の近くにあった小さな町の港、中世の港について歌っているんだ。何年も前のことだけど、これは曲の中で面白いメタファーになると思ったんだよ。その後ぼくは、ベンジャミン・ブリテンが住んでいた北海沿岸のオールドバラで教職に就いた。そこでは海岸侵食が進んでいて、それがぼくの中でメタファーになり始めたんだ。そのことをテーマにコンセプト・アルバムを作れるんじゃないかって思ったんだ。だからこのアルバムには海の話がたくさん入ってるんだ。テーマに沿ったものを作れたら楽しいだろうなって思ったんだよ。ちょっと陳腐に聞こえるこもしれないけど、ぼくは“アーク(方舟)”という言葉と“アート(芸術)”という言葉が似ていることに気づいたんだ。ぼくはこのアルバムを書いているとき、環境破壊の前で無力感を感じていた。ぼくは田舎に住んでいるんだけど、身の回りで自然や虫などがなくなっていると感じる。比較的最近、息子が生まれたばからだから、そのことがとても気になっているんだ。だからこそ海が安定と不安定のメタファーになったんだ」

──「Managed Decline On The Orford Ness」という曲がありますが、アルバムのジャケットには17世紀頃のオーフォード・ネスが描かれています。今ではかなり小さくなっているので、侵食されてしまったのでしょうか?

「そうだね、アルバムは、基本的にメタファーとしてのイギリスの東海岸に特化している。だけどそれは楽しかったよ。楽曲や歌詞に反映させることができたからね。オーフォード・ネスには冷戦時代の古い受信基地があるんだ。コンクリート製のバンカーなどがあって、東欧やソ連の通信を聞いていた。保存されてはいないんだけど、管理されながら衰退しているという状態なんだ。特別に予約をすれば、小さなボートで渡って見学することができる。この“管理された衰退”というコンセプトは、ぼくの心の中にある受信基地……というかあらゆるものの素晴らしいメタファーなんだ。ぼくたちの世代は、子供の頃の冷戦の記憶が非常に強いだろ? 受信基地っていうと、おかしな電子音楽が聞こえてくる。あの曲の最初の部分は、そんなアナログ・シンセサイザーのゆらゆらした質感を再現しようとしたんだ」

──シャロンとは、シュラビーズや最初のバンド、レイク・オブ・パピーズの頃から長い付き合いがあります。彼女がいない状態での音楽制作もまた新鮮ですね。

「考えてみたら、彼女が参加していないレコードはこれまでほとんど作ってなかった。アーチ・ギャリソンのニュー・アルバムは、彼女が参加してない初めてのアルバムだったかもしれないね」

Craig Fortnam / ARK : Post Card photo

──息子さんがいらっしゃるんですね。

「歩いて3分くらいのところにある同じ村に住んでいて、いい感じだよ。幸いなことに、息子とはうまくいってないわけじゃなみたいだ。彼がティーンエイジャーになった頃にわかるんじゃないかな。でも息子は元気そうだ。もちろんそのが一番難しいことだったよ。サムのためにとてもストレスが溜まり、恐ろしくなかった。ぼくたちは彼のために正しいことをしようとしているだけなんだ」

──このアルバムのコンセプトは、個人的にものごとが崩壊していくことなんでしょうか?

「そうだね。気象危機も不安材料のひとつだった。だけどこのアルバムはそのことについてじゃない。そうではなく、個人的な感情についてだ。〈German Ocean〉という曲の1行目に、“流れに身を任せて 北海に漂っている 翼の折れたカモメのように”とある。それがこのアルバムの主題なんだ。家を出なければならなくなって、転々と生活している、完全に漂流しているということさ」

──お兄さんを亡くされたということですが、それも関係がありますか。

「このアルバムが漂流者をテーマにしている理由の一つだ。そう、ぼくの兄は5年ほど前に亡くなった。彼の人生はちょっとした悲劇だった。彼は欲しいものを手に入れることができなかった。対処になければならない個人的ないろんなこと……クソッ……いろんなことが溜まっているようだ。それがぼくに音楽を書かせる原動力なんだ。ぼくの兄は……決して解決できない未解決の状況だから。ぼくはいつもそれを解決しようとしていて、音楽でやっていることであり、もう一度正しいものにしようとしているのだと思う。それができないから、ぼくは常に音楽を書いているんだ。全てをOKにしようとしているんだ。その後母が思い病気になった。そして僕とシャロンは別れた。そして母が亡くなった。さらにティムが亡くなった。ちょうど5年間で一つのことが続いて起こった。このレコードを作った時は基本的にこうしたことの真っ只中にいたんだ」

──音楽と歌詞はどこか並行した旅のようなものです。歌詞は最後になるほど癒しになるのに対し、音楽はどんどん悲しくなっていきます。

「そうだね。確かにそうかもしれない!」

──「A Speck I Am」は歌詞のある3つのセクションから分かれて、それから……。

「……途中、バカげたアップテンポの部分があって……」

──……まさに。それからストリングス・クァルテットのような雰囲気になります。とても悲しく、胸が締めつけられるような曲です。そしてそれが最後の曲に戻ってきます。

「曲順を考え始めたときに、このことは意識してたんだ。あの曲の最後にストリングスを入れたのは、アルバムの終盤で、またチェンバー的なストリングスが多くなると思ったからね」

Craig Fortnam / ARK (Onomatopoeia Records HUM39/Limited Aquamarine Viny / 2021.6)

──アルバムの中で最初に目についた歌詞は、“信じられないほど小さくなって、沈んでいく男”という一節でした。

「この歌詞には2つの異なることが集約されているよね。“信じられない”ということは、どちらかというと楽観的なことで、それと同時に沈んでいくんだからね。子供の頃、『縮みゆく人間』という映画をよく見た。最後に彼が庭の小さな換気口に這っていくシーンがあるんだけど、とても小さくなって……」

──最近、インストゥルメンタル・アルバムもレコーディングしたそうですね?

「ああ、それはもう完成したよ。使っていないものがいくつかあって……あるものは文字通り5小節の小さなフレーズを録音したものなんだけど、それを使って最終的に一曲にしたんだ。このアルバムの多くは未完成のプロジェクトなんだ……それはよくなかったから完成させなかったからではなく、その瞬間に何も起こらなかったから次に進んだんだ。チェロのソロがあったり、ギターのデュエットがあったり、ドラムと一緒にぎこちないワン・キーのポスト・ロックがあったりとかなりミックスされているよ。本当にさまざまなものがミックスされている。リートで録音したミュージシャンもいるし、ヴァイオリンもあるし、トロンボーン奏者もいる。ぼくはあまりブラスを使ったことがなかったから嬉しいよ。面白いアルバムだ。みんながどう思うかわからないけど、かなりミックスしたものだからね」

──このアルバムがリリースされた後は、何か他のプロジェクトを計画していますか?

「そうだな……ぼくはいつも曲を書こうとしている……もっと長いインストゥルメンタルを書くという目標があるんだ。だけど、自分がなりたいと思っている本物の作曲家にはまだなれてないと感じているよ。問題の一つは、本格的にそれをやろうとした時に、あまりいい音楽が書けなかったということ。カーディアクスの影響を自分が納得できるかたちで吸収できていなかった時のことだ。それにぼくはクラシック音楽の世界が……あまり好きじゃなかったっていうことに気づいたんだ。とてもスノッブで排他的な感じがして、居心地が悪かったんだ。今、弦楽三重奏曲を書こうとしてて、もう何ヶ月も書こうとしているんだ。音楽の究極の形は、長尺の器楽曲だあり、あらゆる真意は抽象的だって考えているから、そんな作品をもっと作りたいと思っているんだ。でもアーチ・ギャリソンのアルバムもまた作ってみたいと思っている。ノース・シー・レディオ・オーケストラの作品ももっとやれると思っているし……。ただ今はすべてのことが落ち着くまで一時停止しているように感じてるよ」