10年以上にわたって活動してきたVDGG(Van der Graaf Generator)の現在の姿は、バンドのキャリアの中で最も長いものとなっている。しかしいいことには必ず終わりがある。『Do Not Disturb』はバンドそのものの生き様(歴史)について、そして最終的には死をテーマにしたコンセプト・アルバムだ。VDGGは、過去の勝利に甘んじることなく、常に挑戦し、音楽を進化させてきたが、この作品はファンの心を強く揺さぶるキャリア後半の真の芸術的高揚として際立っている。このインタヴューは雑誌ストレンジ・デイスのために行ったが、同誌が廃刊になったため、お蔵入りしてしまっていたものだ。インタヴューは現時点ではVDGGのラスト・アルバムとなっている『Do Not Disturb』(2016年9月30日)の発売に際して行われている。
4月25日に、当時アメリカのみで発売されたVDGGのファースト・アルバム『エアゾール・グレイ・マシーン』の幻の英国盤が、未発表のアートワークとともにマーキー/ベル・アンティークよりリイシューされることとなった。そこで、DAYS OFFではお蔵入りとなったピーター・ハミルのインタヴューの復活を試みた。
初秋の晴れた暖かい日に、彼の故郷であるイギリス南西部にあるブラッドフォード・オン・エイヴォンでピーター・ハミルに会った。非常に痩せて弱々しく見えるけれど、気さくでとてもリラックスしているようだった。彼にこのアルバムとその厳しい意味について語ってもらった。とても深刻な内容だったため、インタヴュアーが感情的になってしまい、インタヴューを続けることが困難になった時点で記事は終了してしまった。言葉を失いながらも、ファンとしては放っておけないのである。
──現在のVDGGは、これまでで最も長い活動期間となっています。
ピーター・ハミル(以下PH):実際には1年に1ヶ月か2ヶ月しか活動していないよ。でも『ザ・リースト・ウィー・キャン・ドゥ・イズ・ウェイヴ・トゥ・イーチ・アザー(The Least we can do is wave to each other)』(1970年2月)から『ポーン・ハーツ(Pawn Hearts)』(1971年10月)までの活動期間はわずか2年足らずだったからね。だからそれが正しいね。確かに、3枚のスタジオ・アルバムを作るということは、これまでの活動期間と同じくらいの量だ。私たち自身もそのことには驚いているんだよ」
──『Do Not Disturb』は非常にオーガニックなサウンドで、バンドが生き生きと演奏しているように聴こえます。この作品の曲作りとレコーディングについて教えてください。
PH「最近は非常に文明的な生活を心がけているんだ。メンバーと会って、食事をして、その前の期間は何が起こったかを話し合う。そして次の段階に進むんだ。"よし、じゃあ今年は何をしようか "と。それで今回は次のアルバムを作ることにしたんだよ。
しかし今はそれに加えて、薬のチェックもあるし、私たちはみんな、ある程度の年齢に達していて、年々友人が減ってきているという事実がある。そこで私たちは、死と自分の能力に対する認識を持ち、この作品が私たちの作る最後のアルバムになるかもしれないと言った。このことは、アルバムの素材に特別な意味を持たせることになった。もうひとつは、これまでにやったことはないことだと思うが、ヒュー(・ホッパー)とガイ(・エヴァンス)に、何か私が書くべきことはないか、と尋ねたんだ。彼らはいくつかのアイデアを出してくれたよ。それから3ヶ月ほど、ほとんど継続的に作業をしていたよ」
しかし今はそれに加えて、薬のチェックもあるし、私たちはみんな、ある程度の年齢に達していて、年々友人が減ってきているという事実がある。そこで私たちは、死と自分の能力に対する認識を持ち、この作品が私たちの作る最後のアルバムになるかもしれないと言った。このことは、アルバムの素材に特別な意味を持たせることになった。もうひとつは、これまでにやったことはないことだと思うが、ヒュー(・ホッパー)とガイ(・エヴァンス)に、何か私が書くべきことはないか、と尋ねたんだ。彼らはいくつかのアイデアを出してくれたよ。それから3ヶ月ほど、ほとんど継続的に作業をしていたよ」
──あなたが他のメンバーに送ったデモは、レコードに収録されている通りの順番になっていますね。
PH「その通りだね。最初は2曲か3曲くらい送っていたんだけど、2ヶ月目に入ると、最初から曲をレコードと同じ順番で収録した完全なCDを送るようになったんだ。最初からこの曲をこの順番で送っていたんだけど、だんだん作業が進んでいくにつれて、歌詞が完成してきたり、あちこちに新しいパートも入ってきたりしてね。それでもアルバムと同じ順番に送っていたね。
あと、すごく早い段階でレコーディングの前に全体のリハーサルを行うことを決めた。そんなこと何年もしてなかった。『ア・グラウンディング・イン・ナンバーズ』(2011年3月)や『トライセクター』(2008年3月)では、アレンジ、リハーサル、レコーディングをすべて同時に行っていたんだけど、今回は彼らと直接会って一緒に作業をしたんだ。非常に集中的な作業だったけど、私たちにとってはライヴのようなもので、とても興味深いものだったよ。ただレコーディングする際になって、つぎつぎとちょっとした難題──じつはその多くがかなり複雑な曲だったんだ──が生まれてきたんだ。というのは、だいたいはそのとき一度限りのものが多いからね。私たちはそれが心配で、紙切れを集めて1週間くらいあらゆることを書き留めたよ。ヒューなんか、このアルバムのためにこれまでのVDGGのどのレコードよりも多くのものを書き留めたって言っていたくらいさ」
あと、すごく早い段階でレコーディングの前に全体のリハーサルを行うことを決めた。そんなこと何年もしてなかった。『ア・グラウンディング・イン・ナンバーズ』(2011年3月)や『トライセクター』(2008年3月)では、アレンジ、リハーサル、レコーディングをすべて同時に行っていたんだけど、今回は彼らと直接会って一緒に作業をしたんだ。非常に集中的な作業だったけど、私たちにとってはライヴのようなもので、とても興味深いものだったよ。ただレコーディングする際になって、つぎつぎとちょっとした難題──じつはその多くがかなり複雑な曲だったんだ──が生まれてきたんだ。というのは、だいたいはそのとき一度限りのものが多いからね。私たちはそれが心配で、紙切れを集めて1週間くらいあらゆることを書き留めたよ。ヒューなんか、このアルバムのためにこれまでのVDGGのどのレコードよりも多くのものを書き留めたって言っていたくらいさ」
──そうやってから、その後レコーディング・スタジオに入ったのですね。
PH「 面白いのは、曲は基本的に短くても、いろいろなパートがあるということさ。バック・トラックが完成した時点では、すべてがまだ断片的で、まさに70年代のレコーディングのような状態だったんだ。70年代のレコーディングでは、個々のマルチトラックがあって、最終的なミックスまでまとまらなかったんだけど、今ではすぐにミックスできるし、最近ではもっと早くできるようになっているからね。だから、バッキング・トラックを録音したら、まずは曲全体をまとめることから始めたんだ。それは昔のやり方をもう一度やり直したようなものだったね」
──私にとって『Do Not Disturb 』は、VDGGというグループを物語るコンセプト・アルバムです。それぞれの曲は、その物語の一つの章を語っています。
PH「これが私たちの最後の作品になるかもしれないという決断をしたからには、当然のことながらそういうレコードにしなければならない。私たちはこのような共同生活を経験していて、確かにある程度若々しい熱意を持って演奏しようとしているんだけど、事実上は、年配者の記録だっていうことだ。"かつてはこうだった、それを証言するために私たちはここにいるのだ”っていうね」
──1曲目の「Aloft」は、私にとっては芸術的な目覚めの物語です。
PH「自分たちのキャリアは、熱気球に乗っているようなものだと思っていた。上がってしまったら、もう戻れない。少し違うのは、きみたちの声というは、きみたちを乗せている気球に吹き込まれている熱風だということさ」
──次の曲は 「Alfa Berlina 」です。これは1971年のことで、あなたはイタリアにいますね。
PH「イタリアで最初のプロモーターで卓越したマウリツィオ・サルバドーリが、自らアルファロメオのベルリーナに乗って僕らを案内してくれたんだ」
──曲は、イタリア語のような音で始まりますね。
PH「非常に明確に限定された音だね。イタリアの特定の都市というか‥‥そう! 私たちにはそこで何が起こるかわからなかった。私たちは"イタリアに10日間行くんだから、ちょっとした休暇のようなものだな "って思っていた。ある日、ミラノでサウンド・チェックをして、外に出てコーヒーを飲んで戻ってくると、機動隊のトラックと催涙ガスが漂っていて、外には何千人もの中に入れない人たちがいて……なんてことがあったよ。それからは本当にクレイジーとしか言えないような状態だったよ。もちろんイタリアのライフ・スタイルもすごくクレイジーでね……アルファロメオを夢中になって乗り回してたよ」
──「Alfa Berlina」がツアーの頂点だとしたら、次の「Room 1210」はツアーのどん底と言えるでしょう。ツアー中のホテルの部屋を1つでも見たことがあれば、それはすべて見たことになる……。
PH「イエスでありノーでもある。もちろんホテルの部屋はすごく退屈なものだ。一方でそれはある種安全な場所でもある。それ以外の時間は人目にさらされているからね。しかし、ある時点でそのドアを開けなければならないこともわかっている。具体的に言えず、東京についてのことなんだ。というのも、前回バンドが東京に行った後、ガイがこう言ったからなんだ。"ある意味では、僕は今でもあの1200号室に戻りたいと思っているよ。今は戻ってきて、税金や家族のことなど、自分の人生に関わるすべてのことに対処しなければならないからね”って。つまらないということが、素晴らしいことでもあるっていうことさ」
──この曲は、歌詞の中にアルバム・タイトルも入っていますね。
PH「多くの人は私たちが笑いがあるグループだと思っていないだろうが、ファンの人たちは、私たちがかなりユーモアのあるグループであることをわかっている。それは“ほっといてくれよ、邪魔をしないでくれ” っていう意味でも。だからといってVDGGは、決して厄介なグループじゃない。それに私たちに困らせられる理由もないしね”とも言っているよ(笑)。つまりものごとには両面があるっていうことさ。この曲は『ア・グラウンディング・イン・ナンバーズ』収録の「Bunsho」にもあった芥川龍之介にインスパイアされている曲なんだ。彼には、1920年代を舞台に、東京の帝国ホテルである作家が壊れていく様を描いた「歯車」という素晴らしい小説があるんだ」
──「Forever falling 」はバンドが葛藤を深めていく話ですね。
PH「ああ、そうだね。(メンバー同士が)うまく意思の疎通が取れなかったりすることもあるし、それだけじゃなく、二重人格みたいなことがあったり、自分自身とうまく協調できなかったりすることも語っている」
──そして、「Shikata ga nai」という邦題のインストゥルメンタルに入ります。これは『Quiet Zone/The Pleasure Dome』(1977年9月)発表後、バンドが解散したときのことを示している曲ですか?
PH「イエスともノーとも言えないね。なぜなら私は他のメンバーよりもずっと長く日本で過ごしているんだけど、このタイトル自体は、ヒューの息子が日本語を学んでいることから付けたからなんだ。それからこのアルバムは、完全なコンセプト・アルバムではないと思うんだ。私たちはそこまで厳密に考えてはいない。ここまで曲はすべて過去に起こったことを歌っているんだけど、その流れの中でこの曲はひと息つくための一曲なんだ。ここから先は“現在”のことを語っている」
──そういう意味では『Present』(2005年4月)から始まるのかもしれませんね。前半はバンドの昔の姿を描いていて、ここからは新しい姿を描いているのですね。
PH「そうだね」
──「Oh no (I must have said yes) 」は、『Present』のレコーディングと、2005年5月6日のロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのライヴの間の出来事のようですね。
P.H.「そうだね。どんなに奇妙で、気づまりで、悔やむような状況であっても、どこかに行き着いたならば、イエスと言わなければならないという原則があるからね。繰り返しになるけど、イタリアでのさまざまな出来事、あらゆる種類の出来事に戻ることになる。イエスと言うかノーと言うかの選択肢は常にある。それは私の責任であり、私はそれをやり遂げなければならない。なぜなら私はイエスと言ったに違いないからだ。ガイがこれをタイトルとして提案し、こう言いました。“Oh no I must have said yes. で何かやってみたら?” なぜなら、私はよくこう言っているからね。特に、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールのステージ脇で待っていたときはそうだった。2003年に話し合い、2004年にリハーサルを行い、『Present』をレコーディングするまで、ずっとイエスの連続だった。だからこそ、今、私たちはそれを実行しなければならないんだよ」
──この曲には、エネルギーの奔流のようなものがあります。
P.H.「音楽的に非常に難しい部分のひとつだね。このテンポの速さはね。拍子記号もすごくおかしいし、ほとんど拍子記号とも言えない。中間部は、全体の中でも最も興味深い部分の一つだと思う。というのもこの部分は全く違っていて、私はすごく難しいリフとして書いたから。リハーサルを始めたとき、ガイが“フロントにはハードなものが揃っているから、ジャズ・トリオにしてみないか?”って言っていたんだ。それでガイの素晴らしいアイデアが生まれた。"あそこにたくさんのペダルが置いてあるんだから、たまにはいくつかペダルを踏んでみて、2〜3小節の間、大騒ぎしてみたらどうだろう?" とも言ってたよ。そしたら、そのセクションは完全に演奏通りになったんだ」
──「Brought to book」では、すでに現在の段階を離れて、VDGGが成し遂げたこと全体を考えていますね。
PH「サインをして、その責任を取る。“Brought to book "という言葉は、通常、自分の罪、あるいは少なくとも自分の行動に責任を持つことを意味する。このアルバムにはゆるいコンセプトがあるというのは合っている。それは、このアルバムという気球は、私の意志と想像力の力で「Aloft」から飛び立ち、私がそれに熱風を送っている。私はそうやって空中に持ち上げて、気球は行けるところまで行くんだ。それがどこに着地するかは、きみたちが締めくくらなきゃならない。それが私たちがやったことさ」
──そこであなたはどう判断するのでしょうか。何が良くて、何が悪かったのか。
PH「私たちは同じことはしてこなかった。VDGGの場合は常にそうだったけれど、この10年間は特にそうだった。逆に言えば、もっと多くのことを学ぶべきだったが、何事も良いことと悪いことは表裏一体だ。2005年には、『Present』の制作、フェスティヴァル・ホールへの初出演、その他のツアーの実施など、再挑戦のすべてをやり遂げることができた。ただそれはとても残念なことだった。私たちは、純粋な動機でそれをやり遂げ、素晴らしい反応を得ることができたと思っていた。だけど、2005年末になって “ああ、これで終わりかもしれない”と気づいたんだ。なぜなら、(デヴィッド・)ジャクソンはもうそこにはいなかったから。私たちの期待をはるかに超えていたのに、彼は脱退してしまった。
それはひどい時だった。でも、その悪い出来事のおかげで、私たちはトリオとしてスタートすることができたんだ。2005年末のあの最悪の気分から、こんな素晴らしいものが生まれた。そして、私たち3人は、このような活動をすることで、時には個人的にも大きく成長することができた。もしそれが容易なことだったら、それはやる価値がないからね」
それはひどい時だった。でも、その悪い出来事のおかげで、私たちはトリオとしてスタートすることができたんだ。2005年末のあの最悪の気分から、こんな素晴らしいものが生まれた。そして、私たち3人は、このような活動をすることで、時には個人的にも大きく成長することができた。もしそれが容易なことだったら、それはやる価値がないからね」
──でも、もしも審判の日に聖ペテロに説明しなければならないとしたら?
PH「よい面は、音楽ビジネスに吸い込まれなかったことだね。しかし、それは同時に悪い面でもある。そうすることで、事実上、観客が制限されたことになるからね。その結果、レコード会社の仕事は、誰も私たちに頼ることができなくなった。長年にわたり、レコード会社全体の責任者となった友人がいるけれど、彼らが受けているプレッシャーを目の当たりにしてきたよ。中には見事に対処できる人もいるが、そうじゃないと……ノーと言うこともイエスと言うことも放棄しなければならない。ある程度大きな企業になると、具体的な質問をされることはなくなり、昔から全部前もって契約していたと思われるようになってしまう。私たちはそのような立場になることはなくて、それは素晴らしいことさ。私は、比較的真面目にやりながら、多くの楽しみを持ち続けることができた。だから、全体的にはとても満足しているよ」
──続いて「Almost the words」ですが、これはコミュニケーションを取ることに成功しそうで成功しないという内容ですね。
PH「だいたい……私は言葉に気を遣うと思われているが、実際言葉については曖昧だ。自分がそれほど独創的な思想家だとは思っていないが、時おり、うまくいく言葉の兆しが見えることがある。回転する歯車のようにね。もう少しで手に入りそうなのに、なかなか手に入らないことに苛立ちを覚える時もある。逆に言えば、それは諦める理由ではなく、続ける理由でもあるよね」
──その悔しさを自分に向けてもいいのではないでしょうか。VDGGというおかしなものは何か? あなた自身、本当に理解しているのでしょうか?
PH「なぜなら、私もヒューもガイも、何が起こったのか、何年も前に起こったことはおろか、この10年間に起こったことについても、それぞれの角度から考えているからね」
──そして「Go」です。
PH「この曲は、バンドのアルバムを締めくくるにはとても珍しい曲だよね」
──最初に聴いたときには泣いてしまいました。
PH「これを思いついたとき、私はこう思った。"これはVDGGの曲かな?”と。これ以上あまり発展させたくなかったからね。しかし私たちが話しているような一般的なコンセプトだとしたら、少なくとも他のメンバーに提示しなければならない。私はそれを彼らに送ったデモの最後の一曲として残した。そしてそれはいつもその最後の位置にずっと留まっていた。ヒューは“これだよ! 素晴らしい! 僕はいつも、すごくすごく静かな曲をやりたいと思っていたんだ”って言ったよ。ガイも"とても珍しい……このバンドには完璧だと思う。このレコードにもね"ってね」
──「Brought to book」であなたが犯した罪の一つは自己執着です。さて、これはどうでしょうか。
PH「これはその逆だね。これが僕らの最後のレコードだとは言っていないよ。そうは言っていない。でも、たとえ次の作品を作ったとしても、精神的にはこれが最後の作品なんだ」
──この曲では、言葉だけでなく音楽も、止まらずに放っておく……そんな感じがします。
PH「そう、空気みたいなものさ」
──そして、あなたは方その空気の空間に取り残される。
PH「そして静寂がくる。この曲ではVDGGで常に全体の基盤となっているヒューとガイに十分に働いてもらうことができなかった。昔は、みんながダブルホルンを吹いたり、オペラのような歌い方をしたりしていた。もちろん、ガイはもっとたくさんのことができたはずだよ。だけど彼は微量のタッチを加えているだけだ。そして、ヒュー……私はオリジナルの2つか3つのキーボード・パートのデモを弾いたげと、彼はそれをオルガン用にアレンジしただけさ。他には何も追加しなかったし、それ以上の装飾もしなかった。これは、多くのVDGGの作品がそうであるように、賛美歌であり、レクイエムなんだ」
──私は、自分の葬式で演奏してもらいたい曲だと思いました。
PH「そうだね、私もそう思う」
──申し訳ありませんが、私は少し話すのが難しくて。これからVDGGはどうなるのでしょうか?
PH「文字通りだよ。次のステップとして、一緒に食事をしようか?」
──“最後の晩餐”と言ってもいいかもしれませんね。
PH「その通りだよ、ハハハッ! 何もしなくても、私たちはお昼は食べる。もちろん、これをライヴでやるかどうかは問題になるかもしれないな。それを検討しているよ。あえて言えば、実現するかもしれない。でも、“イエス”とも“ノー”とも言えないね。
いずれにしても、私たちは最高の意味での友人であり続けると思うよ。そして、私たちがこのようなことを乗り越えてこられたことは、信じられないような驚きであり、何年にもわたってお互いに経験してきたことの多くは、68年から69年当時に遡る。
でもここでは間違いなくランチだね。その後は……さあね」
いずれにしても、私たちは最高の意味での友人であり続けると思うよ。そして、私たちがこのようなことを乗り越えてこられたことは、信じられないような驚きであり、何年にもわたってお互いに経験してきたことの多くは、68年から69年当時に遡る。
でもここでは間違いなくランチだね。その後は……さあね」
Copyright © Michael Björn 2016
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